2005年12月、わが国では4番目となる「ラムサール条約」の登録湿地に日光市の「戦場ヶ原・小田代原・湯の湖・湯川」から成る奥日光の湿原」が仲間入りしました。

すでに日光市は「日光の寺社」が国内で10番目の世界遺産に登録されています。

ラムサール条約』と『世界遺産』による自然美と人工美の2枚看板は、日光市の両輪になり、その魅力を全世界・全国にPRすることで、同市の発展・誘客に大きな期待が高まっていました。

日光市はこの登録を記念し、該当地が国際的に特別な意味を持つことを広く永久的に知らせ、保護保全のシンボルとするため「ラムサール条約」登録記念碑の建立を決定しました。

この目的を果たすため、設計競技(コンペ)を実施し、広く企画提案を募るプロポーサルを2005年8月に開催したのです。

私は奇跡的にこの業務遂行の栄誉に浴することができましたが、その経緯と業務を通じて考えた概要をレポートしたいと思います。

ラムサール条約とは

1971年2月2日、カスピ海とアルボルツ山脈に挟まれたイランのラムサール (RAMSAR)という町で開催された「湿地及び水鳥の保全のための国際会議」において「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」として採択されました。
その後、採択された国際会議の開催地にちなみ「ラムサール条約」と呼ばれています。
なお、ラムサール条約の正式名称は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」となっていて、水鳥保護条約であるとの印象を持たれるケースが多かったのですが、現在は、水鳥だけではなく魚介類を始め湿地の持つ幅広い機能を保全するための条約に大きく変化してきています。

日本では、1980年6月釧路湿原がラムサール登録湿地に始めて指定されました。

ラムサール登録湿地とは

対象となる湿地は、生態学的・植物学的・動物学的・湖沼学的・水文学的な観点から国際的に重要であると考えられる湿地や水鳥にとって重要であると考えられる湿地です。
登録することで、人々が湿地に対し関心を持つようになり、その湿地が国際的に重要であるという意識を高める効果があります。

ワイズユースとは

「ラムサール条約」は、自然資源の保全とそのワイズユース(賢明な利用)に注目し、各国政府間ではじめて取り決められた協定でもあります。
ワイズユース(賢明な利用)とは「生態系の自然価値の維持と両立させた方法で、人類の利益のために湿地を持続的に利用すること」と定義されてます。
条約においては、むしろ持続的な利用を推進しています。
すなわち、条約は、湿地を厳格に保護し、人の立ち入りを制限することを求めていません。
特に条約第3条には「湿地の保全を促進し、できる限り適正に利用することを促進する計画を作成し、実施する」と規定されています。

湿地は、貝や魚・鳥・獣・植物など様々な生物が生息し、また漁業など人間の生活にも恩恵をもたらしています。しかしその一方で、工業排水や家庭排水などによる汚染や、開発による影響を受けやすいのが湿地の特色です。
人や多くの生き物にとって欠かすことのできない生息環境でありながら、簡単に汚染や消滅してしまう湿地を、国際的に協力して保全し、次世代に伝え守りながら利用することが、ワイズユース(賢明な利用)の一環として考えられているのです。

記念碑デザインに当たっての提案理由

私は「ラムサール条約」の意義を慎重に検討しました。
内容を咀嚼できずして、記念碑のあり方は見えてこないと考えたからです。

提案に至った考察過程を述べてみましょう。

記念碑の建立設置箇所は、湯の湖の湖畔と指定されていました。

現況を視察し以下のような留意点を抽出しました。

  • 設置は湖畔利用客の支障をきたさず、人目に付く場所
  • デザインは湯の湖の周辺景観に調和するもの
  • 記念碑としてはインパクトを持ち、存在感があるもの

記念碑のあり方とは何か

具体的には、記念碑の基調となる素材の検討から進めました。
本体の素材には自然的(性)耐久性から「自然石」が妥当と考え、幾つかの候補から現況に違和観を与えない、現地産の「日光石(安山岩)」を採択しました。

次に記念碑の本質を考えました。

  • インパクトや存在感
  • 人々の目に留まる
  • 存在の必然性
  • 周辺景観との調和

等など考えているうちに「自然石自体が持つ形態美」を活かしたデザインこそ「ラムサール条約記念碑にふさわしい」のではないかと感じてきました。

この意思決定は、私の中で重要なポイントを占めていました。
ヒヤリングの際、審査員の質問に応えたものですが、記念碑デザインといえども「ラムサール条約」の記念碑である故、あくまでも自然性・自然的は「キーワード」としてはずせない。「自然石」の形態美を活かすことこそが、重要な要素であるとし「自然石」の面白さをそのまま活かす、極力手を加えないデザインが最善だと主張しました。

コンセプトは「周囲の景観に溶け込むようなドッシリとした石の記念碑が存在する」とし、イメージは上のようなものでした。

当時を回想すると、私は次のような課題に苦しんでいました。

  • 記念碑にはインパクトが必要
  • けれどもラムサール条約の記念碑に、モニュメント的要素を取り入れていいのだろうか
  • 記念碑のあり方と自然景観の融合とは何か

等を思案し、試行錯誤を繰り返し提案書を作成していました。

実は、突飛な造形デザインも考えましたが、製作に多大な費用が掛かり、その挙句、どうしても自身が納得いくデザインに行き着けませんでした。
紆余曲折を繰り返し、逆に「自然石」の形態美にこだわった、極力手を加えないデザイン提案に行き着いたのが本音です。
しかし、経営判断としては「この内容で他社との勝負に勝てるのか!」と云った懸念は、結果が出るまで継続していました・・・。
けれども「他社との差別化を図った賭けに出たんだ}といった想いが心を支えていました。

採用通知が送られてきたときは、信じられない気持ちで一杯でした。

けれども提案内容が認知されたことには、言葉では言い尽くせない喜びがこみ上げて、心を覆っていた雲がスート引いて青空が広がりだした瞬間でもありました。

Notes
・ラムサール条約登録記念碑
・平成17年11月30日完成